明治十二年(1879年)六月十日の朝日新聞に掲載された嘘か誠か、怪獣らしき骨が発見された怪奇事件ご紹介します。

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[注・明治十二年六月十日の朝日新聞の記事]


ただ出典が古い為に現代語訳と地域の噂を統合して私なりに噛み砕いて意訳し掲載します。



春も終わりを迎えた頃、高知県宿毛市の篠山(ささやま)にて猟師が狩りを行っていた。獲物を追っていたが夢中になりすぎた為か谷深く、渓谷の、美しい蘭ばかり生えている場所へ迷い込んだ。(幽蘭)

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彼がその白くうつくしい蘭たちに見惚れていると一本の巨木に辿り着く。それは本当に素晴らしく大きく、樹齢何百年といった壮大なものだった。

猟師がその樹木の根に目を凝らすと人形(ヒトガタ)らしき骨が見える。恐々とさらに接近し凝視、あらわれたものは頭から足先までなんと3問半(六メートル五十センチ)あって48本の歯はどれも鋭利な刃物のように尖っていた。手足の指はかく4本づつしかなかったという。彼は驚愕し、しばらくは身動きがとれなかったが命からがら村へ戻った。

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[注・参考画像]

その晩、「巨大な人間らしき骨を見つけた!」と村人達にこの話をしてもだれも信用しない。しまいには「夢でも見てたんじゃないか」と笑われてしまった。夜通し説明してもちっとも信用してくれない村人に「ならばすこし待っておけ!!」と激怒し猟師は翌日再び同じ場所に辿り着いた。

猟師は頭の骨を持ち帰ろうとしたが重さ十貫(37㎏)はあり一人では持ち帰りが不可能なので、鋭利な牙のような歯を一本折り村に戻った。

その歯をみた村中が大騒ぎ、 都長県庁まで調査に乗り出しその骨は無事回収され調査が終わり次第に展覧会に展示されるらしい。なお地域住民の噂では大猿ではないか? とのこと。



明治の怪事件で見つかった人形の大骨は頭だけで37㎏というのだから相当巨大な図体をしている。のみならず「骨」が野ざらしのまま風化せず何百年もの歳月、そのまま残るとは考えづらい。もしかしたら江戸時代まで六メートルはある類人猿が山の中でひっそりと暮らしていたのかもしれない。人はそれを恐れ慄き

「鬼」

と呼んでいたのしれません。

これらの怪奇事件は明治初期の朝日新聞の記事と周辺地域の噂を統合した物だが、当時は江戸時代が終わってまだ日が浅く不確かなことばかりである。問題の人形の骨が展覧会に出品されたのか、今もどこかにあるのかそれすらも定かではないからだ。
しかし実際に化け物の大骨があるのなら是非私は見てみたい